いそやまべんざいてん
磯山辨財天
釘を使わない昔の建築美
 
 

磯山辨財天は、今を去る千年の昔、唐沢山城主 藤原秀郷公の勧進により 弘法大師が相州江ノ島辨天にて護摩修行時の護摩の灰にて造られたものといわれています。 当時は一帯に七宝伽藍が林立して、すこぶる隆盛を極めていました。
 その後、幾度かの火災により寺宝はことごとく焼失し、現在の本殿は鎌倉時代に再建されたものと言われ、 釘を使わない昔の建築美を、今に伝える当地唯一の文化財として大切に継承されて来たものです。

磯山辨財天も昔は辨天池の小島に祀ってあったものを、霊泉の不変の恩恵に浴した出流川沿岸の住民、 特に水車講農民等の信仰が厚く、感謝の総意により現在地に奉安したと言われています。
 日本広しと言えども辨天様を山腹に安置しているのは当磯山辨財天だけです。

 
     
 
  ご本尊(右写真中央付近)は梵名を薩羅摩伐底と云いインドの神話より生じた薩羅摩伐底河を神格化したもので、 羽衣風の衣装をまとう八本の手を有する天女風の辨財天で頭上に宇賀神像を拝しています。
辨財天は、水に縁が深い水神として池や河に祀り、蛇にまつわる神話が多いとされています。